建築する。
このことが、社会と人間におよぼす効果を憶うとき、
ある種の怯えにも似る孤独をおぼゆるのは、
建築家としてわたくし一人だけではあるまい。
その責は、余りにも遠く、厚く、重い。
社会は烈しく流動し、多元化している。
加えて、人間の尊厳もより高く要求される。
このような時代が求める正しい建築空間とは、
どう認識されるべきか。
機能と人間性とのぶつかり合いは、
どう纒まるべきか。
また、つとに盛んな工場生産と、
現場生産との組み合わせの
いわゆるエンヂニヤリングは、
どう処理されるべきか。
当面する設計行為を通しての設問は、
実に、多岐多様を極める。
ここに、多くの理解者と協力者のもとで、
これらを秩序づけようとする
われわれスタッフの思考と執拗な追及の精神が、
そのまま、社会文化充実の方向につながることを信じつつ、
この地に、一つ一つ築き建築家としての
職責を確実に果たしてゆきたい。
このことが、社会と人間におよぼす効果を憶うとき、
ある種の怯えにも似る孤独をおぼゆるのは、
建築家としてわたくし一人だけではあるまい。
その責は、余りにも遠く、厚く、重い。
社会は烈しく流動し、多元化している。
加えて、人間の尊厳もより高く要求される。
このような時代が求める正しい建築空間とは、
どう認識されるべきか。
機能と人間性とのぶつかり合いは、
どう纒まるべきか。
また、つとに盛んな工場生産と、
現場生産との組み合わせの
いわゆるエンヂニヤリングは、
どう処理されるべきか。
当面する設計行為を通しての設問は、
実に、多岐多様を極める。
ここに、多くの理解者と協力者のもとで、
これらを秩序づけようとする
われわれスタッフの思考と執拗な追及の精神が、
そのまま、社会文化充実の方向につながることを信じつつ、
この地に、一つ一つ築き建築家としての
職責を確実に果たしてゆきたい。